逆転裁判が好きになれない話

サスペンスやミステリーが好きだ。

二時間ドラマをぼーっと見るのも好きだし、推理小説を読むのも好きだ。

ゲームが好きだ。

スクエニにもカプコンにもコーエイにもナムコにもコナミにもヒューマンにも、それなりにお金をお支払して対価として楽しい時間を過ごしている。

 

ところで推理ゲームってのは作るの大変なわりに採算がとれないのか、世の中にあまり出回ってない。今でもお勧め作品まとめサイトなんか覗いてみても、二十年も前の作品が並んでいたりする。

その中のひとつにいつもいるのが逆転裁判だ。

なんなら大定番として君臨してるといっていい。カプコンにとってもそういう存在らしく、シリーズの1から3をセットにしたものを携帯機コンシューマースマホPCとあらゆるハードで展開している。

 

そんな逆転裁判、もちろん私もプレイしている。1はクリアした。2は途中でやめた。3は買ったけど起動しなかった。

面白くないわけではない。主人公と助手キャラの女の子のやりとりはとても生き生きしていて、それでいて常に想像の余地を残すテキストで、うまいなぁと思うし。

追い詰められた容疑者の急変も演出として面白く、その一点だけなら痛快だと思う。

 

でも好きになれない。遊んでいるとものすごくストレスを覚えるのだ。

理由はあまりに突っ込みどころが多く、作品中でなげっぱなしになってる事がおおすぎる。

例えば、この世界では殺人事件の犯人=死刑である。にも拘わらず警察の捜査が雑。弁護士にも裁判官から調査を命じられたりする。なのに、弁護士の誤答一つで有罪が確定したりする。理不尽。

被疑者が殺人できる状況にないのは明らかであるにも関わらず、弁護士が真犯人をあてて真実をあばけなければ有罪になる。理不尽。

誤答ひとつでといえば、法廷侮辱罪の取り扱い方である。そもそも検事が鞭持ち込んでる段階で出てけでいいと思うんだけど、その鞭持ち込んでる検事から弁護士のミスに法廷侮辱罪適用しろとか言われる。おまゆうここに極まれりである。

その鞭も使われ方がひどく、裁判中振り回すのが当たり前で、それで裁判長が脅されて意見かえたりしている。いやまずその武器取り上げろよ。没収しろよ。そんなもんにキャラ付たよってんじゃねーよ。シナリオ下手かよ。

大体、扱う事件もひどい。

ダイイングメッセージに鈴木って書いてあるのに、なんでそれを証拠として捕まるのが須々木さんなの? ゲーム序盤だからを言い訳にしてるのは分かるよ。でもおかしいよね?

偶然が重なった結果たまたま他人への容疑のなすりつけが成立しちゃった殺人、狙い通りうまくいったら即捕まってたとしか思えないんだけど、それで「オレは捕まるわけにいかないんです」とか悟った目してる犯人のちぐはぐさよ。

プロの殺し屋が顔もかくさず違和感のある恰好して現場うろついてるんじゃねーよ、案の定目撃者いるじゃねーか……。

 

こういうことにイライラしながらゲームすすめてると、いざ逆転しても全然すっきりしない。早く終わらせたくて連打したりする。

 

正直キャラ人気にしてもみんなが楽しめてる名作という位置づけなのが不思議です。ほんとに? たまたま偶然胸像にマントが引っかかったって聞いて、何も思わなかったの? 御剣に腹たててる主人公に共感できた? しょっちゅう理不尽なことで責めたてられるテキストにイライラしないの? 心広すぎない?

 

それならやるなよって思われそうな愚痴ばかり書きました。

 

同じカプコンでも有罪無罪はすごく面白く最後までやれたんだけどなぁ。あれがもうちょっと売れてたら続編も出てただろうになぁ……。かなしい。

やはりストレスが胃腸に来るタイプ

記録的に。

 

先週 金曜日

祖母の食欲は回復しないまま、呼吸も浅くなり、母がかかりつけのお医者に連絡。大きな病院を薦められる。

幸い、九年前に祖母が一時入院した折からお世話になっている病院があるのでそちらへ。そのまま祖母は個室に入院。

高齢なので治療費はほとんどかからないものの、個室に入ったため入院費は高い。大声をあげるから、他の患者さんと同室はありえない。まあ看護つきホテルって考えたら一晩一万は妥当よね……。

お医者さんの判断ですぐ治療して頂ける環境は祖母にとってベストだと思う。落ち着いたら介護施設も紹介していただけるとのこと。

 

先週 日曜日

母ができるだけ祖母に付き添おうと病院に宿泊していたのだが、横になることができないからと早朝、仮眠をとりに帰宅。

起床後、「祖母の大声が聞こえて、慌てて起きて玄関まで急いで行ったけど誰もいないのよ」と笑う。

祖母のことは病院に任せて休んで欲しいと伝える。

 

火曜日

毎週仕事の休みが火曜水曜ということもあり、ゆっくりした朝を迎えていた。

入院してからまだ祖母の顔を見ていないので、今日くらい行っておこうかと思案していたところ、スマホに入電。

祖母が入院している病院からだった。

不整脈後、心停止したとのこと。

母と共に慌てて病院へ。

寝台にいた祖母は薄目を開き、口も少しばかりあけていた。声をかけたら何か返事をしてくれるような気がしてしまう。

既に心停止して三十分以上経過していたはずだが、お医者さんは私たちが駆けつけた時刻を死亡時刻としてくださった。死に目に立ち会えなかったと考えがちな家族への配慮と思われる。

いわゆる終末看護をお願いし、退室。葬儀屋さんへの連絡なども含め、病院がほとんどのことを引き受けてくださった。

改めてこの病院で最期を迎えられたことをありがたく思う。

前日に痛みどめなど処方してくださっていたようなので、祖母もあまり苦しまずに息をひきとったのではと考える。

家に遺体を戻すとご近所にご迷惑ではないかとの母の意見に同意。祖母の遺体は葬儀会場に安置していただくことに。

葬儀屋さんによる遺体の引き取り時、初めて涙が出る。ようやく祖母の死を実感したのだろう。

 

葬儀会場で葬儀に関する相談がはじまる。

基本的に家族葬でひっそりやろうね、最低限でいいよね、と家族間で打ちあわせていたものの、いざ決める段になると「信心」「親戚の目」「見栄」「祖母を思う気持ち」あたりをくすぐられて値段が上がっていく。

とはいえ、手が届く範囲で、可愛らしい祖母に似合う花いっぱいの祭壇を用意いただけることになり、孫としてはそこに満足。

遺影を飾るフレームも黒だけではなくピンクが選べるようになっていることに少し驚いた。もちろん満場一致でピンクにした。おばあちゃんにはピンクが似合う。

いくつか理解できないものに理解できない金額がふってあったりもした。さんずのかわのわたらせちんて。

総額は低所得の身には震えるような金額になった。こじんまりした家族葬なのに。

そら香典の相場が何万とかになるわけだわ……しかもお返しあるから親族が受け取るの実質半額でしょ……? 効率悪いシステムだよね……。

 

相談終了後、母と姉と私、交代で祖母に付き添うことになる。

私の担当は姉の帰宅後、母が母の姉にあたる叔母を迎えに行って二人で夕食を取りに行ってる間。

広い親族室でひとり。なんとなく電子ゲームは気が引けたので、非電源ならいいかなと謎解きなぞ持ち込んで時間をつぶす。無事に最後までクリア。なんかいたたまれなかったので、明日は素直に本を持ち込もうと決める。

急激にお腹が痛くなる。お通じもひどく、トイレとお友達に。

もしかして:ストレス

母と叔母が戻ってきたので、交代して帰宅。帰路の途中でラーメン屋に立ち寄るが完食ならず。帰宅後、一応熱をはかると微熱。

もしかして:ストレス

 

水曜日

朝から絶不調。朝食をとる気にもならずベッドでうだうだ。

幸いお通夜は遅い時間からはじまるので、美容院だけ予約して、家にある薬で解熱作用のあるものと整腸作用があるものを適当に飲んでごまかすことにする。

予約時間までにはなんとなくマシに。

美容院をすませ、喪服を着て葬儀場へ。喪服のズボンのすそが長すぎると母、姉、叔母総出でつっこまれる。我ながら足が短い。

普段は会えない遠方の親戚が駆けつけてくれる。

これは本当に嬉しかった。本当にめちゃくちゃ遠いのに、車で来てくれたという。ひえー。

いとこの奥さんが気さくでいい人で超よかった。お友達になりたい。

甥っこ姪っこにも久々会う。一部昨日もあったけど。なんにしろ相変わらずみんな朗らかでなにより。

幼いこどもたちはなんのためにこんな遠くまで来ているのか、あまり実感がなさそうに見えた。私が始めて親戚の葬儀に立ち会ったのは小学二年のときだったけど、それなりに悲しかった記憶があるなぁ……。

御通夜開始。姉とともに受付担当。見知った顔ばかりの家族葬なので、空気がほのぼのしている。

皆さんきちんとお香典用意してくれている。体調など、理由があってこれない親戚の分まで用意してくれてたりして、みんな大人だなあ。

ケチりすぎずに用意してよかったと安堵。

通夜の後の食事はパスしてさっさと帰宅。やはり体調がよくない。とりあえずみかんゼリーだけ食べて就寝。

 

木曜日

出勤日。以前から予定があって(ライブのチケットとってたんだよね)早退のつもりで人を手配していたので、告別式には問題なく出席できた。

いつもだとこうはいかないので、なんていうか、重なるもんだなぁと思う。さようならjuice=juiceとカントリー・ガールズの合同ライブ。

昨日さきに帰った私を姪が心配してくれた。いい子。

告別式は滞りなく。最期のお別れで棺をあけたとき、また涙が出る。

斎場へと運ばれる祖母。直前にもお別れして、また葬儀場へ。

二時間ほどの間に食事。幸い食欲は戻っていたのできっちりいただく。

エビアレルギーなので避けて食べようと気を付けるが、それでも入っていたようで喉がいがらっぽくなる。懐石のエビ率よ。

食事後、十代二十代の甥姪らがこぞって帰宅。わかる。この先は見たくないお年頃よね。私も同居してた祖母でなければ帰宅したと思う。

 

そして、お骨になった祖母に会いに、もう一度斎場へ。

祖母は100歳を超えていたし、一日の大半を寝て過ごしていた。けれど収骨室の祖母は、それでも多くの骨が綺麗に残っていた。指先までしっかり、人だったと分かるくらいに。

なんのために来てるのか分かっていなかった幼いこどもたちの表情が変わるのが分かった。私も始めてこうなった人を見たとき、本当にショックを受けた。きっとあの時に近い気持ちになっているのだろう。

いちばん小さな子は、骨を前にしながらお父さんに何かを一生懸命話していた。きっと思うところを訴えていたのだろう。いろいろ考えてくれるといいと思う。

足の先から順番に、交代でお骨を骨壺におさめていく。喉仏を上に載せ、頭がい骨で蓋をしていただいた。意味のある順序だという。

信心のない身だけど、家族への気遣いが感じられるのが嬉しい。

収骨室を出ると、唯一ついてきた十代後半の女の子が扉の横に立っていた。ついてきたものの、入ることはせず待っていたようだ。

申し訳なさそうに頭を下げられた気がして、分かるわかると頷く。私だってお骨に向かうのはかなりストレスだった。年頃の女の子なら尚更だろう。

 

骨壺と遺影、位牌を預かって、近しい身内だけでお寺へ。

こどものころにいた町のお寺さんでお経をみんなで読む。これがどういう儀式なのか正直初体験すぎて良く分からない。

手渡された経本が100ページ以上あったので、まさかこれ全部読むのかとおののいたが、序盤と最後のみだったので安堵。

ちゃんと読んでたじゃないと母と姉に褒められて少しうれしい。

信心がない信心がないと繰り返しているが、実はお経を読むのは嫌いではない。一定のリズムで音を口ずさむのは何にしろ楽しい。

心のどこかに「あれじゃろ、ラップとかレゲエじゃろ」と旋律がないものをいっしょくたにしているきらいもある。

 

全て終わるとかなり遅い時間になってしまった。

帰宅すると既に家に祭壇ができていて、そこに骨壺と遺影、位牌をおさめる。

母は何もかもうまくいったとホッとしていて、そんな母の様子に私も胸をなでおろした。

 

これから四十九日まで儀式的なものは続く。私にはあまり意味のないものだけど、それで母と姉の気持ちがなんとなく落ち着くならいいんじゃないだろうか。

とりあえず毎週末お経を唱えることになるのだし、ご近所にご挨拶しないとなぁ……。

黒い服を買った。

祖母はかわいらしい人だ。

小さくて、いつもにこにこ笑ってて、誰にでも人当りがよくて、品がいい。

古い偏見や思い込みをもってはいるけど、それを表に出すことは本当に時々だけ。大陸にいた女学生時代のことを、「ロシアの兵隊さんと踊ったのよ」と、孫に嬉しそうに話すような人だ。

 

祖母が100歳を迎えた時、国や地方自治体からお花やお祝いの品が届いた。

そんな決まりがあるなんて知らなかったものだから、母と私は驚いて、はしゃいで、祖母にすごいねすごいねー、長生きしたからだねと笑顔で話しかけた。もう祖母の言語感覚は曖昧になっていて、どれくらい状況が伝わっていたか分からないけど、それでも嬉しそうに「ほんとう? すごいの?」と微笑んでいた。

 

祖母の食事量が減った直接のきっかけは、入れ歯がなくなったことにある気がしている。

ある日、夕食を運んだら、祖母がしょんぼり萎れているように見えた。聞けば入れ歯は母がもっていったきりで何日も見ていないという。

もちろんそんな事実はない。その日の朝は入れ歯をしていて、しっかり食事をとっていたのを私は見ている。母が入れ歯を洗浄して戻したのを、戻したことだけ忘れた、くらいの話だと思う。

けれどなくなった入れ歯は出てこなかった。布団を一旦めくらせてもらっても見当たらないし、祖母のベッドの下を覗いても、あるのは小さなホコリと消臭剤だけだ。

代わりの入れ歯は一応用意があったが、それは祖母にとってきちんと合うものではないらしく、すぐに自分で外してしまう。

もう100歳。ただお医者さんに行くだけでも一苦労だ。今さら新しくあった入れ歯が作れるとは思えない。そのままだましだましやっていくしかないというのが私と母の結論だった。

それ以降、祖母は食事を一口ほどしか食べなくなった。

祖母の食事をペーストにしたり切り刻んだりして工夫したが、あまり効果はあがらなかった。たぶん咀嚼も嚥下もしんどく思うようになったのだろう。

かろうじて、医者さんから出してもらえた栄養ジュースはおいしいおいしいと飲んでくれた。これならきっともうしばらく生きてくれるだろうと、私と母は胸をなでおろした。

 

ある日、祖母が夜中に大声を出すようになった。

「ばーか。ばあああああか」と誰もいない暗い室内で叫ぶのだ。怒鳴り声というよりは、獣の咆哮のような感情のこもらない声だった。

最初は本当に驚いて、飛び起きて祖母に声をかけたりした。声をかけると、「だいじょうぶよー」とにこにこする。それで安心して私が祖母の部屋を出ると、また同じように叫びだす。

これが夜中2時頃から朝方5時まで続いた。

少し検索したら、これは痴呆の症状で、レム睡眠時に悪夢を見ているせいだろうとの解説が見つかった。対処法も静かに見守るくらいしかないようだ。

それなら仕方ないと納得はしたが、削られる睡眠時間はいかんともしようがなかった。

翌日も祖母の大声は続いた。声にする内容はバリエーションがつき、罵倒以外にも「おかーさん、おとーさん、どこにいるの?」「私はここよ」と子供のように叫ぶこともあった。こどものころの夢を見たのだろう。

ときどき「痛い」と叫ぶことがあったので、そのときだけ祖母の部屋に顔を出した。足がベッドの柵にあたって痛いと感じることがあるようだ。

柵から足を遠ざけクッションを間にいれなおし、かけ布団をかけなおして、おやすみーと笑顔を向けあう。部屋を出たらまた叫ぶ。

この日はその繰り返しが、12時頃から朝方4時まで続いた。

 

隣の部屋を寝室としていた私が根をあげたのは三日目だった。

母に相談し、いちばん遠い玄関側の部屋にふとんをしいて、そこで寝るようになった。

厚い壁のおかげで祖母の声はほとんど聞こえなくなった。足痛くないかなと祖母の足を少し心配したが、自分の睡眠を優先した。

 

その翌日から、祖母との会話がほとんど成立しなくなった。

私が仕事に出ている昼の間も獣のような絶叫をしているらしい。母が一日それに振り回されたようで、私の帰宅後には疲れ切った顔をしていた。

叫ばないでとお願いすると「わかったー」と言ってくれるのだけど、すぐ忘れてしまうらしい。

夜の絶叫は厚い壁を越えて聞こえるようになった。母はこのままでは安定剤を飲まないと眠れないとこぼした。

 

私たちは、お医者さんに、祖母をどこかきちんとした施設に預けられないか相談することにした。

 

 

 

もうすっかり慣れていた祖母と母との三人暮らしは、そう遠くない先に終わってしまうのだろう。

病院から帰ってきた今、私は洋服掛けに下げた黒い服を見て動けなくなった。