やはりストレスが胃腸に来るタイプ

記録的に。

 

先週 金曜日

祖母の食欲は回復しないまま、呼吸も浅くなり、母がかかりつけのお医者に連絡。大きな病院を薦められる。

幸い、九年前に祖母が一時入院した折からお世話になっている病院があるのでそちらへ。そのまま祖母は個室に入院。

高齢なので治療費はほとんどかからないものの、個室に入ったため入院費は高い。大声をあげるから、他の患者さんと同室はありえない。まあ看護つきホテルって考えたら一晩一万は妥当よね……。

お医者さんの判断ですぐ治療して頂ける環境は祖母にとってベストだと思う。落ち着いたら介護施設も紹介していただけるとのこと。

 

先週 日曜日

母ができるだけ祖母に付き添おうと病院に宿泊していたのだが、横になることができないからと早朝、仮眠をとりに帰宅。

起床後、「祖母の大声が聞こえて、慌てて起きて玄関まで急いで行ったけど誰もいないのよ」と笑う。

祖母のことは病院に任せて休んで欲しいと伝える。

 

火曜日

毎週仕事の休みが火曜水曜ということもあり、ゆっくりした朝を迎えていた。

入院してからまだ祖母の顔を見ていないので、今日くらい行っておこうかと思案していたところ、スマホに入電。

祖母が入院している病院からだった。

不整脈後、心停止したとのこと。

母と共に慌てて病院へ。

寝台にいた祖母は薄目を開き、口も少しばかりあけていた。声をかけたら何か返事をしてくれるような気がしてしまう。

既に心停止して三十分以上経過していたはずだが、お医者さんは私たちが駆けつけた時刻を死亡時刻としてくださった。死に目に立ち会えなかったと考えがちな家族への配慮と思われる。

いわゆる終末看護をお願いし、退室。葬儀屋さんへの連絡なども含め、病院がほとんどのことを引き受けてくださった。

改めてこの病院で最期を迎えられたことをありがたく思う。

前日に痛みどめなど処方してくださっていたようなので、祖母もあまり苦しまずに息をひきとったのではと考える。

家に遺体を戻すとご近所にご迷惑ではないかとの母の意見に同意。祖母の遺体は葬儀会場に安置していただくことに。

葬儀屋さんによる遺体の引き取り時、初めて涙が出る。ようやく祖母の死を実感したのだろう。

 

葬儀会場で葬儀に関する相談がはじまる。

基本的に家族葬でひっそりやろうね、最低限でいいよね、と家族間で打ちあわせていたものの、いざ決める段になると「信心」「親戚の目」「見栄」「祖母を思う気持ち」あたりをくすぐられて値段が上がっていく。

とはいえ、手が届く範囲で、可愛らしい祖母に似合う花いっぱいの祭壇を用意いただけることになり、孫としてはそこに満足。

遺影を飾るフレームも黒だけではなくピンクが選べるようになっていることに少し驚いた。もちろん満場一致でピンクにした。おばあちゃんにはピンクが似合う。

いくつか理解できないものに理解できない金額がふってあったりもした。さんずのかわのわたらせちんて。

総額は低所得の身には震えるような金額になった。こじんまりした家族葬なのに。

そら香典の相場が何万とかになるわけだわ……しかもお返しあるから親族が受け取るの実質半額でしょ……? 効率悪いシステムだよね……。

 

相談終了後、母と姉と私、交代で祖母に付き添うことになる。

私の担当は姉の帰宅後、母が母の姉にあたる叔母を迎えに行って二人で夕食を取りに行ってる間。

広い親族室でひとり。なんとなく電子ゲームは気が引けたので、非電源ならいいかなと謎解きなぞ持ち込んで時間をつぶす。無事に最後までクリア。なんかいたたまれなかったので、明日は素直に本を持ち込もうと決める。

急激にお腹が痛くなる。お通じもひどく、トイレとお友達に。

もしかして:ストレス

母と叔母が戻ってきたので、交代して帰宅。帰路の途中でラーメン屋に立ち寄るが完食ならず。帰宅後、一応熱をはかると微熱。

もしかして:ストレス

 

水曜日

朝から絶不調。朝食をとる気にもならずベッドでうだうだ。

幸いお通夜は遅い時間からはじまるので、美容院だけ予約して、家にある薬で解熱作用のあるものと整腸作用があるものを適当に飲んでごまかすことにする。

予約時間までにはなんとなくマシに。

美容院をすませ、喪服を着て葬儀場へ。喪服のズボンのすそが長すぎると母、姉、叔母総出でつっこまれる。我ながら足が短い。

普段は会えない遠方の親戚が駆けつけてくれる。

これは本当に嬉しかった。本当にめちゃくちゃ遠いのに、車で来てくれたという。ひえー。

いとこの奥さんが気さくでいい人で超よかった。お友達になりたい。

甥っこ姪っこにも久々会う。一部昨日もあったけど。なんにしろ相変わらずみんな朗らかでなにより。

幼いこどもたちはなんのためにこんな遠くまで来ているのか、あまり実感がなさそうに見えた。私が始めて親戚の葬儀に立ち会ったのは小学二年のときだったけど、それなりに悲しかった記憶があるなぁ……。

御通夜開始。姉とともに受付担当。見知った顔ばかりの家族葬なので、空気がほのぼのしている。

皆さんきちんとお香典用意してくれている。体調など、理由があってこれない親戚の分まで用意してくれてたりして、みんな大人だなあ。

ケチりすぎずに用意してよかったと安堵。

通夜の後の食事はパスしてさっさと帰宅。やはり体調がよくない。とりあえずみかんゼリーだけ食べて就寝。

 

木曜日

出勤日。以前から予定があって(ライブのチケットとってたんだよね)早退のつもりで人を手配していたので、告別式には問題なく出席できた。

いつもだとこうはいかないので、なんていうか、重なるもんだなぁと思う。さようならjuice=juiceとカントリー・ガールズの合同ライブ。

昨日さきに帰った私を姪が心配してくれた。いい子。

告別式は滞りなく。最期のお別れで棺をあけたとき、また涙が出る。

斎場へと運ばれる祖母。直前にもお別れして、また葬儀場へ。

二時間ほどの間に食事。幸い食欲は戻っていたのできっちりいただく。

エビアレルギーなので避けて食べようと気を付けるが、それでも入っていたようで喉がいがらっぽくなる。懐石のエビ率よ。

食事後、十代二十代の甥姪らがこぞって帰宅。わかる。この先は見たくないお年頃よね。私も同居してた祖母でなければ帰宅したと思う。

 

そして、お骨になった祖母に会いに、もう一度斎場へ。

祖母は100歳を超えていたし、一日の大半を寝て過ごしていた。けれど収骨室の祖母は、それでも多くの骨が綺麗に残っていた。指先までしっかり、人だったと分かるくらいに。

なんのために来てるのか分かっていなかった幼いこどもたちの表情が変わるのが分かった。私も始めてこうなった人を見たとき、本当にショックを受けた。きっとあの時に近い気持ちになっているのだろう。

いちばん小さな子は、骨を前にしながらお父さんに何かを一生懸命話していた。きっと思うところを訴えていたのだろう。いろいろ考えてくれるといいと思う。

足の先から順番に、交代でお骨を骨壺におさめていく。喉仏を上に載せ、頭がい骨で蓋をしていただいた。意味のある順序だという。

信心のない身だけど、家族への気遣いが感じられるのが嬉しい。

収骨室を出ると、唯一ついてきた十代後半の女の子が扉の横に立っていた。ついてきたものの、入ることはせず待っていたようだ。

申し訳なさそうに頭を下げられた気がして、分かるわかると頷く。私だってお骨に向かうのはかなりストレスだった。年頃の女の子なら尚更だろう。

 

骨壺と遺影、位牌を預かって、近しい身内だけでお寺へ。

こどものころにいた町のお寺さんでお経をみんなで読む。これがどういう儀式なのか正直初体験すぎて良く分からない。

手渡された経本が100ページ以上あったので、まさかこれ全部読むのかとおののいたが、序盤と最後のみだったので安堵。

ちゃんと読んでたじゃないと母と姉に褒められて少しうれしい。

信心がない信心がないと繰り返しているが、実はお経を読むのは嫌いではない。一定のリズムで音を口ずさむのは何にしろ楽しい。

心のどこかに「あれじゃろ、ラップとかレゲエじゃろ」と旋律がないものをいっしょくたにしているきらいもある。

 

全て終わるとかなり遅い時間になってしまった。

帰宅すると既に家に祭壇ができていて、そこに骨壺と遺影、位牌をおさめる。

母は何もかもうまくいったとホッとしていて、そんな母の様子に私も胸をなでおろした。

 

これから四十九日まで儀式的なものは続く。私にはあまり意味のないものだけど、それで母と姉の気持ちがなんとなく落ち着くならいいんじゃないだろうか。

とりあえず毎週末お経を唱えることになるのだし、ご近所にご挨拶しないとなぁ……。